20年来憧れの車を手に入れてしまいました。
正式名称 スカイライン2000GT-R 形式名PGC10です。
かなり個人的な解釈があるかと思いますが、語らせてもらいます。
第2次世界大戦時に名機「零式戦闘機」の設計/製作をしていた中島飛行機を前身とした「富士精密工業」は経営危機に瀕して苦しんでいました。
そんな中チャレンジしたのが乗用車の製造でした。
6年もの開発期間を掛けて販売したのがプリンス・セダンです。
社名もプリンス自動車へと変わりました。
当時トヨタ/日産の車を上回るパワーでしたが、販売力の不足で決して売り上げ順調とは行かなかったようです。
その後グロリア発売後、初代スカイラインが発売されました。
それではスカイラインの歴史から始めます。
○初代スカイライン
年式 :’57年
形式 :ALSI-1
エンジン :GA30 1484cc/60ps
Fサス :ダブルウィッシュボーン
Rサス :ドディオンアクスル
価格 :93万円
エンジンは4気筒のGA30型を搭載。OHVで馬力は60psと当時ではかなりのパワーだったようです。
その後ALSI-2へモデルチェンジされ馬力も+10psで70psとなりました。
またこの時国産車初の丸型4灯式のヘッドライトが採用されました。
年式 :’61年
形式 :BLSI-3
エンジン:GB40 1900cc 90ps
Fサス :ダブルウィッシュボーン
Rサス :ドディオンアクスル
価格 :96万円
スカイラインにプリンス・グロリアに搭載していた4気筒1900ccエンジンを搭載。
なんとこの時スカイライン史上最初で最後のオープンカーとしてスカイラインスポーツも発売されました。
販売台数は25台なので、もちろん私も現車を見たことがありません。
○S50
年式 :’63年
形式 :S50
エンジン:G1
Fサス :ダブルウィッシュボーン
Rサス :ドディオンアクスル
価格 :73万円
スカイラインの始めてのモデルチェンジです。
形式がS50となりエンジンも新開発のG1エンジンです。
このエンジンはメンテナンスフリーを歌い文句に封印までされていたそうです。
ここでスカイラインの生い立ちを語る上で重要なイベントが開催されます。
第1回日本グランプリです。
’63年に富士スピードウェイにて開催されたグランプリに威信を掛けて参加したプリンス自動車でしたが燦々たる結果でした。
事前にメーカー同士でチューニングしないとの申し合わせたしたはずでしたが他のメーカーはそれを守らず、当然守ったプリンスの車を引き離してしまいました。
レース結果は直接その後のスカイラインの販売不振へと結びつきました。
プリンス内部に翌年開催の第2回グランプリに向けてレース車両セクションが新設され、今や伝説となっている桜井眞一郎氏がスカイラインの車両設計を始めました。
早い車を作るのはより強力なエンジンを搭載しようと考えなんとグロリア用の6気筒2000ccのG7を乗せてしまったのです。
当然スカイラインのシャーシは4気筒用なのでそのままでは乗らず、フロント部をカット/延長して載せてしまったのです。
キャブレタはウェーバ3連と過激な内容です。
ホロモゲーション取得の為に急遽販売もされました。
年式 :’64年
形式 :S54
エンジン :G7 OHC 2000cc
Fサス :ダブルウィッシュボーン
Rサス :ドディオンアクスル
価格 :89.5万円
この車がスカイライン史上初めてGTの称号を受けました。
シングルキャブのGT-AとウェーバーキャブのGT-Bとがありました。
S54開発にて第2回グランプリに向けて必勝体制だったスカイラインの前に立ちはだかったのは急遽ドイツ本国から空輸されたポルシェ904でした。
エンジンは同じ2000ccでしたが4輪ダブルウィッシュボーンのサスペンションやFRP製のボディで570kgの相手では太刀打ちできない状態です。
開催されたレースでは予想通りスタートからポルシェが独走し、これをスカイラインが追いかける展開となりました。
そんな中周回遅れに手間取るポルシェを1ラップだけでしたがスカイラインがオーバーラップしトップとなりました。
結果的にはポルシェが優勝し2〜6位をスカイラインが独占しました。
これがスカイラインのレースでの伝説の始まりです。
○R380
年式 :’66年
形式 :R380
エンジン :GR8 DOHC 2000cc
Fサス :ダブルウィッシュボーン
Rサス :ダブルウィッシュボーン
価格 :***万円
スカイラインじゃないんですが歴史を語る上でどうしても外せない車です。
第2回日本グランプリにてポルシェの後塵を浴びせられたプリンス自動車はついにレース専用車両の開発を実施しました。
ミッドシップに搭載されたエンジンは当時でも稀な4バルブ DHOC 6気筒のGR8型です。
キャブはもちろんウェーバの3連でオイル潤滑はドライサンプ方式を採用しました。
ボディはアルミ製とし、車重も大幅に削減できました。
迎えた第3回日本グランプリでは宿敵ポルシェを押さえ初優勝となりました。
しかし当時外国車の輸入自由化を向かえ国産車の競争力UPを目的に、プリンス自動車は日産への吸収合併を迎えてしまいました。
○C10
年式 :’68年
形式 : C10
エンジン : G15 OHC 1500cc
Fサス : ストラット独立
Rサス : リジットアスクル
価格 : 68.7万円
日産に合併されて3代目スカイラインが発売されます。
発売時には4気筒 OHC のG15搭載のセダンのみの発売となります。
○GC10
年式 :’68年
形式 : GC10
エンジン : L20 OHC 2000cc 105ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 86万円
C10へのモデルチェンジより2ヶ月遅れで日産の名機L20搭載の2000GTが発売されます。
足回りにはその後R31まで続くセミトレーリングが採用され、乗り心地も大幅に改善されました。
またボディサイドには特徴的なラインで構成されサーフィンラインが登場しました。
愛のスカイラインのセールスコピーで販売を一気に伸ばしてきました。
しかしS54-Bの様なレース仕様車は用意されていませんでした。
○PGC10
年式 :’69年 2月
形式 : PGC10
エンジン : S20 DOHC 2000cc 160ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 154万円
C10モデルチェンジ以降切望されていたレース仕様と言えるスカイラインが登場します。
’68年開催の東京モーターショーにスカイラインのレース仕様が発表されました。
翌年2月に発売されたPGC10型 スカイライン2000GT-Rです。
これが初代GT-Rです。
レーシングカーのR380に搭載されたGR8型をデチューンしたS20エンジンが搭載されていました。
デチューンされているとは言え基本構成はほとんど同じでS54-Bを上回る160psをなんと7000rpmの高回転で発生させます。
価格もGTの86万円に対してラジオ/時計は勿論ですがヒーターもオプションの内容にて154万円との事です。
半分の70万円はエンジン単体の価格との話もありました。
当然レースへの参戦を開始して50勝をあげたのは有名な話です。
’70年にはマイナーチェンジでグリル/テール等の変更はありますが、エンジンその物には変更はありません。
ちなみに私のハコスカ君がこれです。
○KPGC10
年式 :’70年 10月
形式 : KPGC10
エンジン : S20 DOHC 2000cc 160ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 154万円
レースに連勝を続けたGT-Rですがより操縦性改善の為に従来の4ドアセダンボディに変えて2ドアHTボディへと移行していきます。
ホールベースで70mm短縮され車重も20Kg軽量化されレースでの操縦性も大幅に改善されたそうです。
市販のGT-RもセダンからHTに移行されKPGC10の登場となります。
リアには特徴的なオーバーフェンダーが装着され、GT-Rが並みの車では無い事を主張しています。
グリル/テールデザインも変更されましたがエンジンは当然S20が搭載されました。
○C110
年式 :’72年 9月
形式 : GC110/KGC110
エンジン : L20 OHC 2000cc 130ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 88万円
スカイライン4代目のC110系にフルモデルチェンジとなります。
箱型のC10系に対して流線型となったC110系ですがボディサイドにはサーフィンラインがより特徴的となりました。
テールライトもS54系にて採用の丸型4灯となり、これ以降のスカイラインの伝統の形となりました。
また販売面でもケンとメリーのスカイラインのセールスコピーは有名で通称「ケンメリ」と呼ばれてスカイライン史上でもっとも多い年間150万台を発売しました。
しかしモデルチェンジに伴いボディは大型化され、また当時排気ガス規制が厳しく’75年にはインジャクション化されて公証130psとの事でしたが走りのスカイラインとは言えなくなってしまいました。
私の始めての車はGC111でもろにこの影響を受け、東名高速にて向かい風で130kmしか出なかったのを覚えています。
しかし搭載されたL20はブロック外形は同じで排気量が2800ccのL28があり、こっそり乗せ換えていました。
○KPGC110
年式 :’72年 10月
形式 : KPGC110
エンジン : S20 DOHC 2000cc 160ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 162万円
C110系発売後切望されていたGT-Rが1ヶ月遅れで発売です。
KGC10の2ドアHTをベースに前後にオーバーフェンダーを装着された精悍な外観です。
心臓は勿論S20を搭載しハイオク仕様にて160ps、無鉛仕様にて155psと基本的には同じです。
内装のアルミ調のダッシュパネルもとってもかっこ良かったのを覚えています。
しかしモーターショーにはレース仕様が展示されましたがレースへの参加はありませんでした。
KPGC10を持ってしても厳しいロータリー勢に対してサイズ/車重UPしたKPGC110では太刀打ちできないとの判断だったと思います。
結局KPGC110は197台のみを販売して、幻の名車となってしまいました。
○C210系
年式 :’77年 8月
形式 : GC210/KGC210
エンジン : L20 OHC 2000cc 130ps /L20E-T OHC TURBO 145ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 125万円/185万円
ケンメリの次を引き継いだのが5代目スカイライン ジャパンです。
ケンメリのイメージを引き継ぎフルモデルチェンジしたC210系ですが此方も販売好調だったようです。
しかしエンジンは相変わらずのL20Eの為にライバル車からは「名ばかりのGT」とか酷い言われようでした。
確かに’75年の規制よりは良くはなりましたがとてもスポーツカーとは言えない状態でした。
そんな中このエンジンに活を入れてくれるアイテムの登場です。
ターボです。
L20Eにターボチャージャーを追加して145psまで馬力をUpさせました。
しかしGT-Rを上回る性能は期待できないものでした。
P.S.ちなみに私のケンメリ2.8でジャパンターボは何回も千切りました(^_^)/~
○R30系
年式 :’81年 8月
形式 : R30
エンジン : FJ20 DOHC 2000cc 150ps /FJ20E-T DOHC TURBO 210ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 217万円/269万円
6代目のスカイラインとしてR30系となります。
ポールニューマンをキャラクターとしてニューマンスカイラインと言ってました。
このモデルよりC10から続いたサーフィンラインが消滅してしまいました。
エンジンはL20系を継続していましたが10月にはスカイライン史上久々の4バルブDHOCのFJ20搭載モデルのRSがラインナップに追加されました。
GT-Rと呼べないのはやはり4気筒の性でしょうか。
しかしFJ20は当時かなりラフに回る感じで良い感じだったと思います。
後にターボを追加し210psとなり「史上最強のスカイライン」とうたってました。
○R31系
年式 :’85年 8月
形式 : R31
エンジン : RB20DET DOHC TURBO 2000cc 210ps
Fサス : ストラット独立
Rサス : セミトレーリング
価格 : 301万円
この辺になるとスカイラインと思えないんですが一応7代目スカイラインのR31系です。
当時ハイソカーブームでスカイラインとは思えない車となっています。
しかしエンジンは久々の6気筒4バルブDHOCのRBが搭載されています。
レースにもぼちぼち参加し始めて最終形のGTS-Rでは210psを発揮しますが、GT-Rの名称は次回R32登場まで待つしかない状態です。
○R32系
年式 :’89年 9月
形式 : BNR32
エンジン : RB26DETT DOHC TURBO 2600cc 280ps
Fサス : マルチリンク
Rサス : マルチリンク
価格 : 445万円
GT-R消滅から17年ぶりに復活です。
R32はKPGC10と同様にレース参加を目的に設計されました。
中途難破な排気量もレースレギュレーションからは必須のようです。
エンジン内部の部品も特殊でツインターボを噛まして280psは馬力規制が無かったら余裕でOverしているそうです。
シャーシも電子制御の4WDと無敵の状態です。
当然レースに参加したんですが連戦連勝状態で、GT-RのライバルはGT-Rと言われるほどでした。
価格も400万円以上と高価だったんですが当時はバブルのはじける前だったので、何と4万台も売れてしまったようです。
○R33系
年式 :’93年 8月
形式 : BCNR33
エンジン : RB26DETT DOHC TURBO 2600cc 280ps
Fサス : マルチリンク
Rサス : マルチリンク
価格 : 500万円ぐらい
スカイラインも9代目となります。
R33からはスカイラインも全車3ナンバーサイズとなり、もはや小型車とは言えない状態です。
当然GT-Rもライナップされましたがボディサイズが大きくなり過ぎたとのコメントも多々あります。
しかしRB26DETTの性能は高く、シャーシ完成度も高まっているようです。
○R34系
年式 :’98年
形式 : RNR34
エンジン : RB26DETT DOHC TURBO 2600cc 280ps
Fサス : マルチリンク
Rサス : マルチリンク
価格 : 500万円ぐらい
R33から一転また小さくなった10代目スカイラインのR34系です。
どうもスカイラインは大きくなったり小さくなったりするのが伝統みたいです。
デザイン的にもすっきりしてハコスカをイメージできる感じです。
またR34系は6気筒GT-R最終型となってしまいそうです。残念・・・!!
スカイラインも最初は1500ccクラスの普通のセダンでしたが、これに2000ccの6気筒エンジンを押し込んでしまいました。
とは言っても今の車に比べればかなりコンパクトに見えます。
まずはデータです。
|
トレノ ( TE27 ) |
ハコスカ ( PGC10) |
R32GT-R (BNR32) |
ワゴンR (2WD5F) |
||
全長 | mm | 3945 | 4395 | 4545 |
3395 |
|
全幅 | mm | 1595 | 1610 | 1755 |
1475 |
|
全高 | mm | 1335 | 1385 | 1340 |
1645 |
|
ホイルベース | mm | 2335 | 2640 | 2615 |
2360 |
|
トレッド(前) | mm | 1270 | 1370 | 1480 |
1295 |
|
トレッド(後) | mm | 1295 | 1365 | 1480 |
1290 |
|
車両重量 | kg | 860 | 1120 | 1430 |
810 |
|
車両総重量 | kg | 1135 | - | - |
- |
|
乗車定員 | 名 | 5 | 5 | 5 |
4 |
さすがにトレノ君に比べれば大きいんですが小さくなったと言われるR32と比べてもコンパクトです。
2⇒4ドアの違いがありホイルベースはPGC10の方が長いんですが、全長は150mmほど短くなっています。
車重も300kgほど軽めです。
ちなみにハコスカの場合は2ドアと4ドアではホイルベースが70mm違うのは有名な話です。
運動性能は2ドアの方が良いようですが、「羊の皮をかぶった狼」と言えるのは4ドアじゃないかと思います。
車両形式 |
TE27 |
GC10 | PGC10 | KPGC110 |
BNR32 |
|
原動機の形式 |
2T−G |
L20 |
S20 |
RB26DET | ||
DOHC 4気筒 |
OHC 6気筒 |
DOHC 6気筒 |
||||
2バルブ |
2バルブ |
4バルブ |
||||
排気量 |
cc |
1588 |
1998 |
1989 | 2568 | |
燃料の種類 |
有鉛 |
無鉛 |
有鉛 |
無鉛 |
無鉛ハイオク |
|
ボア×ストローク |
mm |
85×70 |
78×69.7 |
82×62.8 |
86×73.7 | |
圧縮比 |
9.8 |
9.0 |
9.5 | 9.0 |
8.5 |
|
最大出力/回転 |
ps/rpm |
115/6400 |
105/5200 |
160/7000 |
155/7000 |
280/6800 |
最大トルク/回転 |
kg-m/rpm |
14.5/5200 |
16.0/3600 |
18.0/5600 |
17.6/5600 |
36.0/4400 |
気化器 |
ソレックス40×2 |
シングル |
ソレックス40×3 | 電子制御 | ||
車重 |
kg |
860 |
1090 | 1120 | 1145 |
1480 |
パワーウエイトレシオ |
kg/ps |
7.48 |
10.38 |
7.00 |
7.39 |
5.29 |
GT-Rの話をするんでしたらS20エンジンを外す事ができません。
プリンスが第2回日本グランプリ制覇を狙いR380に搭載したGR-8型エンジンがベースとなっています。
当時ではOHVが主流だったブロックに、なんと4バルブのDOHCヘッドが搭載されていました。
これにソレックスの3連キャブレタを搭載し、2000ccなのに200馬力を発生するモンスターエンジンだったようです。
当時の日産が凄いのはこれをデチューンはしましたが、市販車に乗っけてしまいました。
形式はS20に変更され、ドライサンプを通常の形式に変えたり、カムの駆動をギアからチェーンになりましたが基本は同じようです。
当時国産ではDOHCヘッドを搭載したエンジンはありましたが2バルブのみで、4バルブヘッドを搭載したエンジンはありませんでしたし、世界的に見てもこんなエンジンを普通のセダンに乗せた例は見られませんでした。
このS20にはソレックス40φの3連キャブレタと、これも当時は信じられない事なんですがステンレス製のエキゾーストマニフォールドとデュアルマフラーが標準装備されていました。(通称 ソレ/タコ/デュアル です)
こんな仕様のS20は160馬力を7000rpmで発生する超高回転型のエンジンでした。
レースに出ていたGT-RはこのS20エンジンをベースに10000rpmまで常用としていたようです。
GC10のL20はOHCヘッドを搭載し105馬力だったのでパワーウェイトレシオでも大きく引き離していました。
ハコスカGT−Rの後半からは無煙仕様もあったようで若干パワー/トルクが低くなったようです。
現在のGT−Rのターボ付きに比べればパワー的に劣りますが、この性能は当時からGT−Rは普通の車じゃ無かったと言えます。
当時の市販のGT-Rの値段が150万円ぐらいだったようですが、この半分はエンジンだったと言われるのも納得できるようです。
|
S50 |
PGC10 |
BNR32 | |
サスペンション
|
F |
ストラット式コイルスプリング |
マルチリンク+ コイルスプリング |
|
R |
リジットアスクル+ リーフスプリング |
セミトレーリング・アーム +コイルスプリング |
マルチリンク+ コイルスプリング |
|
ブレーキ
|
F |
ディスク |
ベンチレーテッドディスク |
|
R |
ドラム |
ディスク | ||
ステアリング |
ボール&ウォーム |
ラック&ピニオン |
先代のS50系のリジットアスクル+リーフスプリングに対してセミトレーリング・アーム+コイルスプリングへと進化しました。
当時東名高速が開通し始めて日本でも高速走行性能云々が語られ始めた時代でした。
セミトレーリングに改められて足回りは理論的にもばね下重量の低減が図られ、路面の変動に対して追順性が大幅に上がったはずです。
何より当時車高を落とすとタイヤが八字を切ったのが格好が良くて憧れました。
このセミトレーリングのリアサスペンションはこの後のスカイラインに引き継がれ、R32のマルチリンクサスペンションが出てくるまで続きました。
ブレーキは当時主流だったディスク/ドラムの組み合わせで、GT−Rのみの特別な仕様は無かったようです。
トレノ君から乗り換えても足回りの違いは結構感じました。
単純に足回りの構成の違いだけではないんですがトレノ君の超軽量ボディに比べて100km前後の安定感は格段にUPしているんじゃないかと思います。
ハコスカ/ケンメリのGT−Rの場合は通常のGTに比べてオーバーフェンダー標準装備されている関係もあって比較的違いに気付きますが、PGC10も結構な違いがあります。
<外装>
@リアのフェンダー
GT :カットなし
RT−R:カットあり
Rの場合リアのフェンダーがカットされています。
Aガラスの色
GT :色(青)付き
GT−R:無色透明(熱線なし)
BF/Rガラスゴム
GT :モールなし
GT−R:モールあり
Cエンブレム
GT−R専用
DGTバッチ色
GT :青(GTXは金)
GT−R:赤
Eフェンダーミラー
GT :メッキ
GT−R:黒(ただし44年式はメッキ)
<内装>
@フロントシート
GT :リクライニング付き
GT−R:バケットシート(リクライニングなし)
A回転計
GT :フルスケール 7000rpm
GT−R:フルスケール10000rpm
B油圧計
GT :フルスケール 6kg
GT−R:フルスケール10kg
Cホーンパット
GT :青(GTXは金)
GT−R:赤
Dシフトノブ
GT :青(GTXは金)
GT−R:赤
Eドア内張り
GT :下部アルミプレート付き
GT−R:一体式
<その他>
○ガソリンタンク
GT : 60L
GT−R:100L
○燃料ポンプ
GT :機械式
GT−R:電磁ポンプ
以上のようにGTに比べて違っている所があります。
もちろんエンジンは違います(^v^)
こんなPGC10ですが一体どのくらいの数が生産されたんでしょうか。
データがあったのでまとめてみます。
●スカイラインの生産台数
初代スカイラインのALSI型からR32までのスカイラインの生産台数です。
1996年の時点で累計生産台数は290万台となります。
さすがに50年代に生産されたALSI型は生産数量は少なく最大でも年間8000台ほどでした。
2代目のS50系に入るとさすがに生産台数は増えて30000台/年となります。
3代目C10になると爆発的に生産台数が増え1971年には年間10万台をOVERするようになりました。
そして4代目C110系のケンメリ/5代目C210系のジャパンがスカイラインの生産台数としては最も多く年間15万台の生産となりました。
しかしその後のR30系からは人気が薄れR32系にてGT−Rが復活しましたが生産数量としては8万台下回ってしまいました。
●GT−Rの生産台数
形式 | 年式 | シャーシナンバー | 台数 | ||
PGC10 | ’69年式 | 000004 | 試作車 | 539台 | 832台 |
000010〜000013 | 試作車 | ||||
000021〜000620 | |||||
’70年式 | 000811〜000812 | 試作車 | 293台 | ||
000813〜001186 | 欠番あり | ||||
KPGC10 | ’71年式 | 000010〜000013 | 試作車 | 600台 | 1,115台 |
000021〜000702 | |||||
’72年式 | 001001 | 試作車 | 515台 | ||
001011〜001525 | |||||
KPGC110 | ’73年式 | 000051〜000245 | 197台 | ||
BNR32 | 43,934台 | ||||
BCNR33 | 12,539台 |
KPGC110ケンメリGT−Rの生産台数が少ないのは有名ですがハコスカGT−Rも結局2,000台程度しか生産されませんでした。
当時のGTが80〜100万円程度購入できたのに対して、GT−Rの場合は150万円となりかなり高価であったのが原因かと思います。
当時の大卒の初任給が3万円台だったのでかなり高値の花だったのかも知れません。
逆にR32が4万台売れたのには異常です。(バブル全盛の頃だったかな・・・)
また私のPGC10は’70年式なんですが途中でHTがラインナップされた時点で無くなってしまったので思ったより数が少なく293台なのにはちょっとびっくりしました。
すでにPGC10生産終了より30年以上の時が過ぎました。
2000台余り売れた初期型GT−Rですが一体何台生き残っているんでしょうか・・・
大事にしなければ。 と言いながら毎日乗ってますヽ(^o^)丿